愛って
2023年の総括的なブログです。
最後に更新したのはいつなのかすら忘れましたが…
今年は意識的に脱サブカルを目指した年だった。
これは外的要因が多くあり、ウィークポイントはNetflixのlight houseでのサブカル辞めようぜ発言、昨年のウエストランドの佐久間さーん発言がそれだったりする。
その他には、前職を辞めて今の職場に就いてから時間の余裕と趣味へのスケジュールを割きやすくなったこともある。
ライブなんかにたくさん行くことが出来、その都度いいライブだったな〜。と。
映画も例年に比べればそこそこ観ることが出来、これもまたいい映画だったな〜。と。
そう、2022年までの自分は、なんでも栄養になると思い込むようにしすぎていたのではないかと、気づいた年でもあったのですね。
けどもちろん喰らったライブ、映画もありました!
静岡で見たシン・カネコアヤノバンドはかなり喰らった。
家主のクアトロも遂にコロナが明けたことを実感した。
エレカシの有明アリーナは心身削る様に震えた。
坂本慎太郎の野音もゆらめきと快楽とでカンフル剤でしかなかった。
映画は君たちはどう生きるか、がなんかずっとビジュアルとして頭に残った。
怪物も評価に違わず面白かった。
パルプフィクションのリバイバル上映にもやっぱ好きだななんて思ったりした。
blue giantはとにかく泣けた。
そんな風に良いものにもたくさんたくさん出会えたのですが、昔は生き急いでいたかの如く摂取したら「経験即ち養分」と考えてたけどあんましそうでもないなってハッとしましたね。
余裕ができて創造力が弱まったのかもしれないけど。
そうだ、友達がサマソニのケンドリックラマーを見て、その感想が「よくわかんなかったや」だったのにも衝撃を受けた。
とどのつまり
「よくわかんないもの」
を、ずっと僕は
「きっと(まだ自分にはわからないけれど)素晴らしいもの」
と勝手に咀嚼させようとする脳のメカニズムに思春期あたりから改悪されていたのでは?と気づいたのでした。
他者が素晴らしいと言ったものは見聞きするようにはこれからもするだろうけど、フィーリングで素晴らしいと思えなかったものは、わかんなかった〜で解決する方が生きやすそうと思ったモンスターの誕生です。
摂取しやすい便利な世の中になった故に生まれたモンスターですね。
各所で絶賛されてるboygeniusのアルバムはどこ見ても絶賛されていて素晴らしかったし、オリヴィアロドリゴもスピッツのアルバムもとても良かった。newjeansもめちゃめちゃ聞いた。良かったから。
わかろうとすること、考察すること、特定の誰かにレコメンドすること、もう疲れちゃった。
という理由が大部分を占め始め、僕はサブカルを辞め(諦め)たのでした。
かと言ってそんな変化があった自分を卑下するわけではなく、所謂「ときめく」か否かをこれからは生活していく上で大事にしていきたい。
Spotifyのお気に入りにはその瞬間どこかでときめいた曲が連なっている。
マンガ小説もどこか自分がときめくフレーズのあるものは今でも大切にしている。
趣味は音楽漫画映画なのは何も変わらない。
ただサブカル的に捉えようとする脳をやめて、ときめきに全BETして気楽に生きていこうスタンスになっただけです。
昔は多分ときめきに自分から向かっていったんだと思うんですよ。
ときめかねえわけがねえ!ときめかねえ自分ちゃんちゃらおかしいだろ!?なぜときめかねえんだ!??ときめけ!!!!!
それに疲れたってだけですね。
自分をラベリングするのも疲れたし。
「お、これときめくわ良いじゃん」に委ねたいね。
何度同じことを言葉を変えて言うんだと。
まあそんなわけで今日久々にこのタイトルのadieuの愛ってを聞いてときめいたので備忘録として貼っときました。
明日にはときめいてないかもしれないけど、それでもまあきっといつか、これ聞いてやっぱいいわってなることが1番良いよね。
寝れないので書いた変な総括でした。駄文も駄文。
おやすみたい。